◆発掘調査歴(主な遺跡のみ)
発掘調査は、これまで国内外で行ってきました。主な遺跡は、以下の通りです。
●海外調査
・クービ・フォラ遺跡[アフリカ・ケニア共和国](猿人)
・サンギラン遺跡[東南アジア・インドネシア共和国](原人)
・ウィドダーレン遺跡[東南アジア・インドネシア共和国](原人段階)
・ドゥアラ洞窟[中近東・シリア共和国](旧人)
・エリザベスマウンド[アメリカ・イリノイ州](新人)
・ラッテ・ストーン遺跡[ミクロネシア・ロタ島](新人)
・ペリリュー島戦争遺跡[ミクロネシア・パラオ](近現代戦争遺跡・遺骨収集)
・ミレー環礁[ミクロネシア・マーシャル諸島](近現代戦争遺跡・遺骨収集)
・サイパン島戦争遺跡[ミクロネシア・北マリアナ諸島](近現代戦争遺跡・遺骨収集)
・テニアン島戦争遺跡[ミクロネシア・北マリアナ諸島](近現代戦争遺跡・遺骨収集)
・ウォレアイ環礁戦争遺跡[ミクロネシア連邦](近現代戦争遺跡・遺骨収集)
・ヌイ島戦争遺跡[ツバル共和国・ヌイ島](近現代戦争遺跡・遺骨収集)
・サハリン(樺太)[ロシア連邦・サハリン](近現代戦争遺跡・遺骨収集)
●国内
・聖嶽洞窟[大分県](旧石器)
・枌洞窟[大分県](縄文時代)
・伊是名貝塚[沖縄県](縄文時代)
・白井北中道Ⅲ遺跡[群馬県](古墳時代)
・上郷岡原遺跡[群馬県](江戸時代)
・棟高辻久保遺跡[群馬県](近現代)
●ミクロネシア連邦ウォレアイ(メレヨン)環礁New!
[2014年3月]
・厚生労働省メレヨン遺骨帰還
・ミクロネシア連邦ウォレアイ環礁(第二次世界大戦)
(遺跡概要)
戦争中、暗号名で「メレヨン」とされたウォレアイ諸島から現地島民により収骨された旧日本軍兵士の遺骨と発掘調査により収骨した遺骨の鑑定。
●ツバル共和国ヌイ環礁
[2014年2月]
・厚生労働省ツバル遺骨帰還
・ツバル共和国ヌイ環礁(第二次世界大戦)
(遺跡概要)
1943年に撃墜された陸上攻撃機の搭乗員と推定される旧日本軍兵士の遺骨を発掘して収集。
●サハリン(樺太)
[2013年11月~12月]
・厚生労働省サハリン(樺太)遺骨帰還
・ロシア連邦サハリン州(第二次世界大戦)
(遺跡概要)
1945年8月に、樺太(サハリン)の北緯度旧国境付近の気屯(スミルヌイフ)で、旧日本軍とソ連軍による戦いで戦死した日本軍兵士の遺骨がロシアのボランティア団体により収骨されており鑑定を実施。
●パラオ共和国ペリリュー島
[2013年6月]
・厚生労働省パラオ遺骨帰還
・パラオ共和国ペリリュー島(第二次世界大戦)
(遺跡概要)
米軍は1944年9月15日にペリリュー島に上陸。島に約500の洞窟陣地を構築した旧日本軍は11月25日まで組織的戦闘を行い、約1万名が戦死。洞窟遺跡から遺骨を収集した。
●北マリアナ諸島サイパン島
[2013年3月]
・厚生労働省サイパン島遺骨帰還
・北マリアナ諸島サイパン島(第二次世界大戦)
(遺跡概要)
1944年7月7日に行われた、万歳突撃で戦死して埋葬された旧日本兵と別の地域で戦死し埋葬された旧日本兵の遺骨を収集した。米軍兵士2体も発見した。
●北マリアナ諸島テニアン島
[2013年3月]
・厚生労働省テニアン島遺骨帰還
・北マリアナ諸島テニアン島(第二次世界大戦)
(遺跡概要)
米軍は1944年7月24日上陸攻撃を行った。約8,100名の旧日本軍は8月2日に万歳突撃を行い8月3日に玉砕。テニアン島では、約15,500人が戦没している。洞窟遺跡から遺骨を収集した。
●パラオ共和国ペリリュー島
[2013年2月]
・厚生労働省パラオ遺骨帰還
・パラオ共和国ペリリュー島(第二次世界大戦)
(遺跡概要)
米軍は1944年9月15日にペリリュー島に上陸攻撃を行った。島に約500の洞窟陣地を構築した旧日本軍は11月25日まで組織的戦闘を行い、約1万名が戦死。洞窟遺跡から遺骨を収集した。
●北マリアナ諸島サイパン島
[2012年12月]
・厚生労働省第2回サイパン遺骨帰還応急派遣:人類学専門員
・北マリアナ諸島サイパン島(第二次世界大戦)
(遺跡概要)
第二次世界大戦中、1944年7月7日に行われた、最後の万歳突撃で戦死した、旧日本兵の集団埋葬地からの遺骨収集。2012年9月の継続。
●北マリアナ諸島サイパン島
[2012年9月]
・厚生労働省サイパン遺骨帰還応急派遣:人類学専門員
・北マリアナ諸島サイパン島(第二次世界大戦)
(遺跡概要)
第二次世界大戦中、1944年7月7日に行われた、最後の万歳突撃で戦死した、旧日本兵の集団埋葬地からの遺骨収集。
●マーシャル諸島ミレー環礁
[2011年9月]
・厚生労働省マーシャル諸島遺骨収集応急派遣:人類学専門員
・マーシャル諸島ミレー環礁エネゼット島(第二次世界大戦)
〈遺跡概要〉
第二次世界大戦中に戦死した、旧日本兵の埋葬遺構からの遺骨収集。
●白井北中道Ⅲ遺跡
[2003年4月~2004年3月]
・(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団発掘調査主担当
・白井北中道Ⅲ遺跡(縄文時代~近世)
〈遺跡概要〉
榛名山が、6世紀初頭及び6世紀中頃に噴火したことにより、その火山灰と降下軽石で埋もれた遺跡。
2003年1月~2003年3月
(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団
西長岡宿遺跡(縄文時代~近世)
●上郷岡原遺跡
[2002年4月~2002年12月]
・(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団発掘調査主担当
・上郷岡原遺跡(縄文時代~近世)
〈遺跡概要〉
天明三(1783)年に起きた、浅間山噴火に伴う泥流で埋もれた、家屋・水田・麻畑の発掘調査を実施。
●棟高辻久保遺跡
[2000年4月~2002年3月]
・(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団発掘調査副担当
・棟高辻久保遺跡(縄文時代~昭和)
〈遺跡概要〉
昭和18(1943)年~昭和19(1944)年にかけて、急遽建設された前橋飛行場跡地。当時の水田が、そのまま出土した。
●聖嶽洞窟
[1999年12月10日~同24日]
・聖嶽洞窟発掘調査団
・人類学班班長
・文部省科学研究費特定領域研究
「日本人および日本文化の起源に
関する学際的研究」
〈遺跡概要〉
聖嶽洞窟は、1962年に旧石器時代人骨と石器が発見された国内でも著名な遺跡である。1999年は、その第2次調査として行われた。その結果、人骨96点・歯47点の合計143点が出土した。
●インドネシア・ジャワ島人類遺跡発掘調査
[1997年6月~7月]
・発掘主任
・文部省科学研究費
〈遺跡概要〉
サンギラン遺跡で、大規模な発掘調査を行った。1997年6月24日、ジャワ原人の子供の下顎切歯を発見した。
●インドネシア・ジャワ島人類遺跡調査
[1996年4月~5月]
・発掘主任
・文部省科学研究費
〈遺跡概要〉
サンギラン遺跡で、大規模な発掘調査を行った。動物化石は、出土したが、人類化石は出土しなかった。
●インドネシア・ジャワ島人類遺跡調査
[1995年9月~10月]
・発掘主任
・文部省科学研究費
〈遺跡概要〉
サンギラン遺跡で、試掘調査を実施。
●インドネシア・ジャワ島人類遺跡フィールド・サーヴェイ
[1994年7月~8月]
・フィールド・マネージャー
・文部省科学研究費
〈遺跡概要〉
トリニール遺跡・ガンドン遺跡・モジョケルト遺跡・サンブンマチャン遺跡・ケドゥンブルブス遺跡・ワジャック遺跡・サンギラン遺跡等を現地調査
[1992年7月]
・ロタ島ラッテ・ストーン遺跡発掘調査団
・人類学担当
・先史時代
〈遺跡概要〉
ロタ島先史時代の家の土台と推定されている、ラッテ・ストーンの脇から、先史時代人骨2体が出土した。埋葬遺構を発掘し、出土人骨を報告した。
[1992年7月]
・パラオ共和国ペリリュー島戦争遺跡日米合同調査団
・日本側人類学担当
・第二次世界大戦の戦争遺跡
〈遺跡概要〉
1944年11月24日に、旧日本軍守備隊約1万名が玉砕した戦争遺跡。日米合同で調査を行った。
●伊是名貝塚
[1992年5月]
・沖縄県伊是名村伊是名貝塚学術調査団
・人類学担当
●ウィドダーレン遺跡
[1991年9月~10月]
・インドネシア共和国ジャワ島ウィドダーレン遺跡
・JICA(国際協力事業団)派遣専門家
〈遺跡概要〉
約80万年前の動物の足跡化石。当時の、ラウ山が噴火した時に起きた泥流に残されたウシ科動物の足跡。
●ウィドダーレン遺跡
[1991年7月~8月]
・インドネシア共和国ジャワ島ウィドダーレン遺跡
・JICA(国際協力事業団)派遣専門家
〈遺跡概要〉
約80万年前の動物の足跡化石。ラウ山が噴火した時に起きた、泥流に残されたウシ科動物の足跡。
●ウィドダーレン遺跡
[1990年8月~10月]
・インドネシア共和国ジャワ島ウィドダーレン遺跡
・JICA(国際協力事業団)派遣専門家
〈遺跡概要〉
約80万年前の動物の足跡化石遺跡。ラウ山が噴火した時に起きた、泥流に残されたウシ科動物の足跡。
●本郷元町遺跡
(東京大学構内雨水調整池遺跡)
[1989年5月]
・東京大学構内雨水調整池調査団団員
[1986年6月~8月]
(ケニア共和国)
・ハーヴァード大学夏期古人類学実習学生
・旧石器~先史時代
〈遺跡概要〉
クービ・フォラ遺跡は、多くの化石人類を産出した有名な人類遺跡。
[1985年6月~8月]
(アメリカ合衆国イリノイ州)
・ノースウェスタン大学夏期考古学野外実習学生
・先史時代
〈遺跡概要〉
エリザベス・マウンド遺跡は、先史人骨が多数出土していることで有名。
[1984年6月~8月]
(シリア共和国パルミラ近郊)
・東京大学西アジア洪積世人類遺跡調査団第6次調査人類学担当助手
・ネアンデルタール人遺跡
〈遺跡概要〉
ドゥアラ洞窟は、1970年・1974年・1984年と3回発掘調査が行われた。
●枌洞窟
[1981年8月](大分県)
・別府大学・長崎大学合同第7次発掘調査団員
・縄文時代
〈遺跡概要〉
枌洞窟は、縄文早期~縄文後期の洞窟埋葬遺跡。1974年~1981年にかけて、7次にわたって発掘調査が行われた。